仕事にこだわり、持っていますか?

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仕事にこだわり、持っていますか?

2019年06月10日

大人になっても続くパターン

小学校の頃の夏休みの終わり頃といえば、 決まって思い出されるものがありますね。

そうです。夏休みの宿題です。 私は夏休みの宿題を夏休みの終盤に追い上げていくタイプでした。

ご自身の小学校時代を振り返ると、いかがでしたでしょうか?

夏休みの最初に全て終わらせてから ノビノビと夏休みを満喫するタイプでしたか?

それとも計画的にコツコツと進めていくほうでしたか?

中には、夏休みの最終日に一気に片付けた方もいるかもしれません。

8月31日は家族全員、一致団結して夏休みの宿題を

終わらせる日だったというケースもあるでしょうし、

夏休みが終わっても宿題が終わっていないということもあったかもしれません。

面白いのは、こうしたパターンが続いていくというところです。

一年前の夏休み、8月31日に感じたあの苦しさを考えれば、

次の年には早くからコツコツ進めていっても良さそうなものです。

ところが実際には、「まぁ、まだ大丈夫か」、

「一週間もあれば大丈夫」

「3日前になったら始めよう」…、などと考えているうちに 前年と同じように

8月31日を迎えてしまう。 分かってはいるのに続けてしまうわけです。

そして、これは夏休みの宿題に限ったことではありません。

大人になっても同様のパターンが続いていくものです。

夏休みの宿題をコツコツやっていた人は、

社会人になってからの仕事もコツコツと計画的に進めていきます。

宿題を早めに終わらせる人は、仕事も余裕をもって仕上げていきます。

8月31日に宿題を一気に片付けていた人は、

仕事もギリギリに追い込まれてからヤル気が出てきたり

宿題を家族総出でやっていた人は、 仕事も追い込まれてから誰かに頼ったりするのかもしれません。

人はそうやってパターンを作って行動していく傾向を持っています。

これはパターンを作ったほうが楽だからだと考えられます。

あらゆる状況を細かく考えながら対処していたら時間ばかりかかってしまいます。

歩くのも、お箸を使うのも、自転車に乗るのも、 考えないで出来るから日常生活がスムーズに送れるわけです。

いつもの行動パターンを作ることで生活を楽に過ごせるということです。

ところが、そのように無意識に作られていくパターンの中には

夏休みの宿題をギリギリまでやらないことのように

望ましくないものも作られてしまいます。

1つのやり方で状況を乗り切ってしまうことが続くと

その行動がパターンとして定着してしまうのです。

そうした望ましくないパターンをいかに変えていくか というところにNLPは大きな効果を示してくれます。

ちなみに、私は夏休みの宿題も、期末テストの勉強も、

ある程度追い込まれるまでヤル気が出ませんでした。

そんな私が、この文をどういう状態で書いているかというのも、

お察しのとおりでしょう。 もちろん、NLPでそのパターンを変えることもできますが

、 私はその必要性を感じていないので 相変わらず追い込みを利用しているわけです。

こだわりのある人々

さて、今月はもう少し私自身のことに 関連してお伝えしてみたいと思いますが

私がそうやって追い込まれがちなのには 別の要因も絡んでいるように感じます。

それは私の「こだわり」の強さです。 どことなく職人気質だったりするわけです。

私が作る資料を見たことのある方は納得していただけるかもしれませんが

「別にそこまでは必要ないだろう」というような部分まで手を入れてしまうのです。

「しまう」と言っても別にそれをやめようとは思っていませんが

こだわりの結果として時間的に追い込まれることもあるようです。

研究職をしていた頃のプレゼン資料もそうでした。

パワーポイントの作り込みは誰にも負けない自信がありました。

掃除もそうです。一か所を任されると 見違えるほど綺麗にすることに充実感を感じます。

自分がこだわる部分にはとにかく追及したくなるようです。

私のそうした行動の一部を目にした人は

私のことを非常に細かい人間だと判断するようですが、それは違います。

いい加減なところは、相当いい加減です。

そのように妥協しないところ、こだわりを持った 仕事に美学を感じる人もいるわけです。

そうした人々は自分のすることへの評価基準を

他人に置いていないのかもしれません。

自分が納得できるかどうかが優先されるのでしょう。

超一流の職人や芸術家になると、その作品の良し悪しを

判断できる人が減ってくると言います。

あまりに技術が高すぎて、どの作品も一般人の目から見れば

十分に素晴らしいものに見えるということです。

ところが作品を作った側からすると 出来の良いものと悪いものがある。

他人からすれば素晴らしいと言われるものでも、

自分の中にある基準で良いと言えないものは失敗作なわけです。

妥協して適当に作ったとしても誰も気づくことができないにも関わらず、

一切の手抜きができないということがあるのです。

ビジネスの視点で見れば、そういった超一流の技術に対しては

その技術の素晴らしさを理解できるように見る目を養うような 情報を発信していくことや、

見る目を持った人たちを 対象にすることが大切になってくると考えられます。

ところが、こだわりを持った人たちの多くは

自分の仕事そのものへの関心のほうが高いイメージがあります。

自分が納得できる仕事をしているのでしょう。

相手に喜んでもらうという結果だけを求めれば その場しのぎの対応でも許されてしまうわけです。

しかし、それだけを目的にせず、自分が納得できる仕事を求める。

自分が「良い」と思える基準を持って仕事に臨む。

それが、その道のエキスパートの責任でもあるように思うのです。

プロとエキスパート

「エキスパート」という言葉は「熟練者」や「達人」という

日本語に訳されることが多いですが 混同されやすい言葉に

「プロフェッショナル」というものがあります。

プロフェッショナル(professional)という単語は 「宣言する」とか「神に誓う」という意味の

「profess」から来ているので 「プロフェッショナル」な人は、

「これを仕事として生きていく」と 誓った人というような意味になるようです。

一般的な言い方をすれば「職業的な」ということです。

一方の「エキスパート」ですが こちらは「職業的」であるかどうかは関係ありません。

とにかく、その道で秀でた人、同じ仕事をしたときに他人よりも 成果を上げられる人、ということです。

つまり、エキスパートとプロフェッショナルは 違った対象を示す言葉なのです。

プロフェッショナルでエキスパートの人もいれば

プロフェッショナルではないけれどもエキスパートだという人もいます。

当然、プロフェッショナルなのにエキスパートではない人もいるわけです。

つい先日まで行われていたオリンピックを例にとって見れば、

出場選手は全て、その競技の「エキスパート」だと言って良いでしょう。

各国を代表するエキスパートが集まるのがオリンピックです。

そして、競技によっては「プロフェッショナル」の選手が出場したり

「プロフェッショナルではない」選手が出場したりするわけです。

野球やサッカーの選手はプロフェッショナルかつエキスパートだと言えますが、

体操やマラソンではエキスパートであっても プロフェッショナルではないということになります。

スポーツの世界では活躍する人がエキスパートと言えますから、

プロフェッショナルになるためには当然エキスパートでもある必要があります。

しかし、一般的な職業においては、プロフェッショナルであっても

エキスパートではない人々もいるものです。

もちろん、必ずしもエキスパートを目指す必要はないでしょう。

エキスパートを目指すのは楽ではないと思います。

ただ、もしエキスパートの方向へ気持ちを向けたのであれば それにはNLPが役に立つようです。

エキスパートの評価基準

NLPは心理療法のエキスパートであった 3人のコミュニケーションを元に作られたものです。

そこをベースに更なる開発が加えられ エキスパートに近づくための手法も生み出されました。

先ほどお伝えしたように、 NLPは私たちの習慣や行動パターンを変えるのに活用できるのです。

上手くいかない行動パターンを変えられるということは

困っている状況を改善できるということです。

上手くいかない行動パターンから上手くいく行動パターンに変えられれば

エキスパートに近づくこともできるわけです。

それをエキスパートの行動パターンに変えられれば、 更にエキスパートへ近づけるのです。

そのときに重要なことがあります。

それは行動だけ変えるのではなく内面も変えていく、ということです。

確かに、行動を変えると内面が変わることもあります。

本心からでなくても「ありがとう」ということで相手の表情が変わり、

それを見て本心から「『ありがとう』と言ってよかった」と思えるようになる。

その経験が自然と「ありがとう」を言える人へと 変えてくれるということがあるわけです。

一方で、内面が伴わなければ変わらない行動もあります。

本心から出てくる「ありがとう」であれば、自然と相手の目を見つめるでしょう。

相手の目を見つめる目にも、表情にも、声のトーンにも感謝の気持ちが表れるものです。

こうした微妙な変化こそが、無意識的なメッセージとして相手に伝わります。

それは意識してどうにかなるものではありません。

エキスパートは、エキスパート特有の内面を持っているわけです。

それによって自然と現れる行動が、他人へエキスパートを感じさせるのです。

そうしたエキスパートの内面的特徴の1つが

自分の中にある仕事への評価基準ではないかと思います。

それは時に自分勝手にもなり得ます。

ラーメン屋がスープの出来に満足できないから 店を開けないというのは、

エキスパートのスタンスだろうということです。

ラーメン屋の店主自身の中に、スープへの評価基準があるのです。

もしかすると、それは常連客の中でも一部しか分からない差かもしれない。

でも妥協できないわけです。

その店主にとってはスープの出来が重要な基準であり

スープのエキスパートを目指す責任なのかもしれません。

しかし、そのラーメン屋がラーメンのエキスパートを 目指していたとしたら

麺や具材、味付けなどの要素を 工夫してラーメン全体のバランスとして

満足のいくものを 仕上げようとするかもしれません。

それは目指す方向性の違いによるところでしょう。

私はコミュニケーションのプロフェッショナルとして エキスパートを目指しています。

そのときに目指す方向性、自分の中の評価基準を いつも吟味していたいのです。

それは時によって変わりゆくものかもしれず 大切な想いをもって取り組めば自然と表れてくるものかもしれません。

ただ、私が現時点で1つ言えるのは、 「人は全員違う」というこだわりです。

全ての人を個人として、一人ひとりを見ていたいのです。

一人の個性、存在を感じていたいのです。 あのヒグラシの鳴き声にも 微妙な音の違いがあります。

音の高さも、音色も、セミによって少しずつ違うのです。

そして間近で聞けば、あの物悲しい鳴き声も けたたましいほどの大音量であることに気づけます。

必死で生きている証のようにも思えます。

涼やかに物悲しく鳴いているように見えても 個々の命は一生懸命なのかもしれない。

そういう思いが、また私に一人の人を見させてくれるのです。

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