その気持ちは誰のせい?

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その気持ちは誰のせい?

2019年06月05日

その気持ちは誰のせい?

雨の多い季節になりましたね。
北海道にお住まいの方は梅雨に対する実感が小さいかもしれませんが、
雨が続いた時のジメジメした雰囲気というのは
想像していただけるのではないかと思います。

ところで、日本では古来より
6月を「水無月」と呼んできたようです。

梅雨入り時期というのは
全国的に6月前後のようですから、
「6月は雨の多い時期」といった考えは
多くの方に納得していただけるものと
想像します。

それなのに、6月を「水の無い月」と呼ぶわけです。
なんだか不思議な感じもしますね。

「水無月」の語源は諸説あるようですが
旧暦の6月は梅雨明けの時期と重なっていたことで
「水の無い月」と呼ばれるようになったという話はよく耳にします。

他にも、田んぼに水を引く月だから「水の月」として
「水月(みなづき)」と呼ばれたとか
「水の月」の「の」の意味に当たる「な」という助詞を
音として「無」であらわしたとか、様々な説があるそうです。

雨が少ない月と考えても、田んぼに水を引く月と考えても
月の呼び名に関わるほどに水が大切なものだったのは
間違いないようですね。

こんにちは。NLPトレーナーの原田です。
私たちがNLPのセミナーを開催している
水道橋の東京セミナールームからは東京ドームや
後楽園遊園地が目の前に見えます。

この時期、雨の日に窓から外を眺めていると
なかなか印象深い光景を目にすることがあるのです。

東京ドームではプロ野球の試合や
コンサートなどのイベントがあるのでしょうが
雨の中、傘をさした人たちの行列がドームの周りを囲っています。
遊園地のほうに目を向けると、晴れた日ならセミナールームまで
悲鳴が聞こえてくるようなジェットコースターが動きを止めています。

もしかすると、東京ドームの周りに傘をさして並んでいる人たちは、
「あーあ、雨だよ。ツイてないなぁ・・・」などと思っているかもしれません。

その一方では、遊園地に来るのを楽しみにしていたのに
雨で諦めた家族もいたかもしれません。

「ありがとう」の反対は…

後楽園球場が東京ドームとして屋根付き球場になってから
雨の日でもプロ野球の試合やコンサートが
中止になることはなくなったようです。

そのおかげで、遠くから楽しみに訪れる人たちは
雨天中止の心配をしなくてもよくなったのでしょう。

それでも雨が降れば、やはりガッカリするのかもしれません。
雨の中を並ぶのは嫌だとか、足元が滑ったら怖いとか。

当たり前になってしまうのでしょうね。
隣の遊園地に目をやれば遊びに来られなかった
子供たちがいるかもしれないのに。

雨の日の遊園地では多くの乗り物が遊べなくなってしまいますが、
だからといって屋根付き遊園地にしてしまっては
楽しみも減ってしまうはずです。

もちろん、人気のある屋内の遊園地もあるでしょう。
しかし、スリルを楽しむ乗り物の多くにとっては、
外の景色の変化も魅力の内だと思われます。

また、雨に濡れないように自動車のような乗り物にしてしまったら、
風を切る感覚が味わえないわけです。
まして、観覧車が室内にあったら、
いったい何を観覧するのかという話になってしまいます。

…まぁ、観覧車のゴンドラは雨でも
濡れませんから元々関係ないかもしれませんが。

とにかく、遊園地には屋外だからこそ体験できる
醍醐味も沢山あるということです。
雨が降ったら遊べなくなってしまう
そういうリスクを踏まえた上でも
遊園地にはそれを上回る晴れの日の魅力があるわけです。

雨の日があるから
晴れの日の遊園地には一層の喜びがある。

雨天中止の悔しさを経験しているから
屋根付きの良さが分かる。

梅雨の雨模様さえも、水不足の夏を知っていれば
嬉しく思えるかもしれません。

しかし、誰しもが目先の不快感にとらわれてしまいます。
それは別に悪いことではないと思います。

ただ、少し見方を広げることもできるわけです。

「ありがとう」の反対は「当たり前」だと言います。
多くのことに感謝できるようになったら
それは素晴らしいことでしょうね。

目標設定のポイント

さて、雨の話が長くなってしまいましたが
今月は目標設定について少しお伝えしたいと思います。

NLPでは目標のことを「アウトカム」と呼びますが、
これは達成感を味わえる成果を目標にすることを言います。

金銭的な報酬が得られるにせよ
他人からの称賛が得られるにせよ
自分自身の満足感が得られるにせよ
達成感を味わえることがポイントになります。

なぜなら、あらゆる生物は未来に得られる
達成感のためにヤル気を起こすことができるからです。

エネルギー不足で動けなくなる前に
未来に食糧を手に入れた状態を想像して
ヤル気を起こせるから、生物は生き残れるわけです。

未来に目標を達成した状態をリアルに想像し、
その状態に対して喜びを強く味わうことが
ヤル気を上げてくれることになります。

目標を達成した状態を詳細にイメージすることが
目標設定の重要なポイントの1つです。

ところが、現実に目標を達成するためには
自分一人だけの範囲ではどうにもならないこともあるわけです。
だからこそ難しさがあるのです。

自分一人で一生懸命頑張ったからといって
誰でも億万長者になれるわけではありません。
ビジネスを成功させるには相手が関わっています。
そして、その相手は自分の自由にはならない。
それも当然のことです。

多くの人は
「自分のビジネスが上手くいかないのは、
買わない客が悪いからだ」とは考えないでしょう。

自分のやり方を工夫して対処しようとするはずです。

ビジネスに限らず、競争社会の中においては
多くの人が自分の責任を考えていると思います。
受験の時や、スポーツの試合もそうでしょう。
競争相手がいるにも関わらず、目標を達成できるかどうかは
自分の行動を基準にして判断されるということです。

野球の試合に負けたとしたら
誰もが自分たちのミスや能力不足を反省するでしょう。
「相手が強すぎた」と言っても、それは自分たちの能力の至らなさを
間接的に認めているわけです。

誰も「あのピッチャーが打ちにくい球ばかり投げるから悪いんだ!」とは
言わないと思います。

ただし、会社のレクリエーションとして
草野球をするのであれば、150kmの球を投げるピッチャーに
手加減してもらうのは妥当です。

それは目標設定が違っているからです。
競争に勝つのが目標ではなく、交流を通じて楽しむことが
目標になっているということです。

競争の中に身を置くのであれば
多くの人は自分の責任で
目標へ向かっていくはずなのです。

そして、ダイエットやマラソンの完走など
自分一人の責任で達成することでも
全てを自分のこととして受け止めやすいでしょう。

達成できなければ、「自分はまだまだだなぁ・・・」と
思って反省してみたり

「また今度、頑張ろう」と
気持ちを切り替えたりして
他人を責めることはしないと思われます。

まして、遊園地で遊びたかったのに
雨で行けなかったというような
望みが叶わない原因が自然などにあった場合では
誰かに責任を求めることはしないでしょう。

「運が悪かった」と、あきらめようとするはずです。

ところが、それが対人関係になると
不明瞭になりやすいものなのです。

誰が目標を達成するのか

他人に対して、「自分のことを~して欲しい」
「~のように扱ってもらいたい」というのは相手に対する
願望や欲求であり、それも目標の1つだと言えます。

しかしNLPで目標設定をするときには、
「あの人が~になってくれたらいい」という
アウトカムは望ましくないものと判断します。

それは「他人は変えられない」からではありません。

ビジネスで成功するのも、1000人の前でスピーチをするのも
自分一人だけの努力で達成できるとは限らないのです。
他人が関わっているという意味では
「あの人が~になってくれたらいい」と言っているのと同じです。

つまり、自分が望んでも相手が変わりたくなければ
達成できないという部分においては、
「上司にもっと優しくしてもらいたい」ということと、
「売上を2倍にしたい」ということは本質的に変わらないのです。

にもかかわらず、「上司にもっと優しくしてもらいたい」という
アウトカムが望ましくないと考えられるのは、
自分自身で責任を取ろうとしていないからです。

大半の人は「売上を2倍にしたい」という
目標を設定した場合、達成できるかどうかは
自分の責任だと思えるわけです。

一方、「上司にもっと優しくしてもらいたい」という
目標は、相手に責任を求めてしまいがちです。

「上司に優しくしてもらえるように自分が行動して、
自分自身の努力によって上司に優しく接してもらえるようになろう」という具合に、
自分の責任として考えられるのであれば、
適切な目標と言えるのです。

目標設定の重要なポイントは、
「達成できるかどうかは自分の責任である」
と思えることにもあるわけです。

 

対人関係の落とし穴


そうやって目標を明確にして他人との
コミュニケーションをとっていければ、
問題は限りなく少なくなっていくものと予想されます。
ところが実際には、それは非常に難しいものです。

自分でも気づかないうちに、
相手に対して願望を抱いてしまうのです。
多くの場合、そこでは承認や愛情を求めているはずです。

そのように自分の本心で求めていることに
気づかないまま要望を表現しているとき、
その方法は歪んだ形になってしまいます。

正しいか間違っているかではなく、歪んでいるのです。

日本では伝統的に、自分の気持ちをストレートに表現することなく、
曖昧に伝えることをしてきた文化的背景もありますが、
問題になるのは日本文化的な表現の曖昧さとは違います。

オブラートに包んだ表現が歪んでいるというのではありません。
意識的にストレートな表現を避けるのは問題ないのです。

本心に気づかないで要望を表現するときに、
歪んだやり方になりやすいということです。

いわゆるオブラートに包む伝え方というのは、こういうことです。
「本当は相手にこうしてもらいたい」という気持ちがあっても、
それを直接伝えるのは言いにくい雰囲気がある。
だから少し違った言い方をしてみよう。

これは自分で意識的に選択をしているわけです。
そのため、結果として上手く伝わらなかったときに別の対応ができます。

「あれ?伝わらないかな。じゃあ、もっと率直に言うか」と
考えて率直な内容に変えることも、「まぁ、この人では仕方ないか」と
諦めることもできるのです。

意識して選択しているため、その後の対応にも
選択の幅が出てくるということです。

ところが、歪んだやり方というのは1つに固執しやすいわけです。
選択の幅がない。硬直してしまっているのです。

自分の本当の要望を正直に表現しないで、
相手の出方を待つ。

その結果、相手がどういう対応をするかで、
自分の気持ちが変わってくる。

相手が自分の望んだ対応をしてくれたら、
「あの人は分かってくれる」と喜び、
自分が予想した対応じゃないときには嫌な気持ちになる。

相手に期待しているのです。
自分の気持ちが自分の自由になっていないのです。
責任をとれていないのです。

歪んだアピール

そういう時は自分が本心で望んでいることに
気づけていませんから、自分が相手に何かを
期待しているとは思っていません。
具体的な例で考えてみましょう。

仕事で失敗をして顧客を怒らせてしまった。
そのことを上司に報告にいったら
こっぴどく怒られた。

誰よりも自分が反省していたのに頭ごなしに上司から怒られたら、
不満が沸いてくるのは当然です。
そんなとき、その不満をどう表わすか。

ゴミ箱にヤツ当たりをしたり
皆の前で過度に落ち込んだそぶりをしてみたり
泣いたり、すねて誰とも話をしなくなったり、
上司の悪口を多くの人に話したり、
自分のダメさ加減を同僚に語ったり
不満を歩き方で表したり・・・。

どれも自分の気持ちを表してはいます。
同時に、気づかないうちに
他人への期待も表現しているのです。

周りの人に慰めてもらいたいのかもしれません。
「あの上司は最低だ!」と
同意してもらいたいのかもしれません。

「お前はよくやっていたよ」と
ねぎらってもらいたいのかもしれません。

「お前だけが悪かったわけじゃないよ」と
許してほしいのかもしれません。

「君なら次は上手くいくよ!」
と励ましてもらいたいのかもしれません。

何かしらの期待が込められているのです。

私が会社にいたときも
苦労自慢をする人がいました。
「オレが若いころは寝る間も惜しんで仕事をしていたものだけどなぁ」とか
「いやぁ、昨日も2時間しか寝てないよ」とか
「熱が40℃あって、下がらないんだよ。明日は重要なプレゼンなのに」とか。

苦しそうに言うのであれば
それは心配してもらいたいのでしょうし
得意気に言うのであれば
「スゴイですね!」と言われたいのでしょう。

本当に大変な状況であれば
我慢していても分かるものです。
それなのに、自分から声に出して伝えようとする。
アピールしているわけです。

それは大人のやり方ではありません。
子供のころに学習してしまった
歪んだやり方を無意識に今も続けているのです。

幼いころの学習法

例えば、欲しいオモチャがあったけど、
お母さんが買ってくれない場面があったとしましょう。
そこで駄々をこねるか、泣くか、すねて口をきかなくなるか。
それによってお母さんの対応も変わってきます。

お母さんがオモチャを買ってくれたら
上手くいったその方法を学習してしまいます。
「駄々をこねて泣きわめけば望みは叶うんだ」と
無意識に身につけるのです。

逆に、お母さんが
「そんな子は知りません!置いて行くわよ!」と
怒るような対応をしたら、ワガママを言わずに
我慢する方法を学習してしまうでしょう。

オモチャが欲しいという要望よりも
母親の愛情を受けるほうが大切ですから。

母親に見捨てられるぐらいなら、
子供は我慢を選ぶわけです。

また、そうやって我慢をして過ごしていたら
別の日にオモチャを買ってくれたとしましょう。
すると今度は、「いい子にしてれば欲しいものが手に入る」
ということを学ぶと考えられます。

そういう体験の繰り返しの中で、
歪んだやり方を身につけていくわけです。

無意識のパターンが出来てくるのです。
そういった学習は仕方のないことです。

子供の未熟な判断で決めたことです。
当時はそれが最善の方法だったのです。

もしかすると、こういう話をすると
親の言動の重大さを思って
心配される方がいるかもしれません。

そのことを考えて、子供への接し方を工夫しようとするのは
素晴らしい愛情だと思います。

ですが、そういった考えに縛られて過度に
苦しい思いをする必要もありません。

親自身も、その両親によって
植え付けられてきたパターンを使っているのです。

親との関わりで身についた
歪んだパターンを変えるかどうかは
本人の責任だと思います。

自分が自分自身の責任として
この先どうしていきたいかが大切だと思うのです。

自分がその歪んだパターンに気づき
それを止めるように努力する。
それが大人としての成長だということです。

行動と気持ちに責任を

本当に自分で自分の要望に気づけていれば
自分の行動に責任が持てるはずです。

歪んだやり方の裏にある自分の要望に気づければ、
どのような伝え方も選択することができます。

間接的にアピールすることも
ストレートに言葉で伝えることも選べるのです。

自分で選択した伝え方をして
それが相手に伝わらなくても自分の責任です。

望んでいた対応を相手がとってくれなくても自分の責任です。
嫌な気持ちが起きるはずはありません。

もし、相手の対応に対して嫌な気持ちが沸いてきたら、
それは相手に期待をしているということです。
自分で責任をとっていないのです。

もちろん、全ての行動に責任をとるというのは、
とてつもなく難しいことです。

必ずしも全ての行動に責任をとれるようになる
必要さえないのかもしれません。

それよりも大切なことは、
誰かに期待している思いがあるということです。

満たされたい思いがあるということです。
不満を感じるのは、自分の中に満たされたい思いがあるからです。

では、それをどうやって満たすのか。

それを本当に満たしてくれるのは、
自分でしかないはずです。

他人に自分のことが
分かるわけがありません。

自分の気持ちは自分で満たす。

大切な自分を満たすという大事な役割を、
他人に任せる必要はないのです。

本当に自分が大切なら、
自分自身が大切にしてあげればいいじゃないですか。
片時も離れることのない大切な自分なのですから。

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