離婚理由の圧倒的上位は「性格の不一致」。それは言い訳か。

夫婦の「悩み」「苦悩」「苦痛」を乗り越える方法はある。
家庭裁判所における「婚姻関係事件」の申立て動機をまとめた司法統計では、男女ともに『性格の不一致』が長年、圧倒的な第1位となっている。
すると、結婚する前には、パートナーの性格を知らなかったのか。それとも、猫をかぶっていたのか。
離婚原因の「性格の不一致」を考えてみたいと思います。
(※金遣いが荒い。浮気。生活費を渡さない。パートナーの酒癖。暴力。家族への虐待。儀父母との関係。などの離婚原因ではありません。)

私たちが主催する夫婦のコミュニケーション講座には、様々な背景で参加される方がいます。
そして、その代表的な参加動機を当協会の統計で見ると、次の通りです。
- 「価値観の違いに戸惑いを感じてきた……」(司法統計通り)
- 「仕事のストレスがパートナーに向いてしまう……」
- 「感情的なパートナーとの関わり方を知りたい……、会話が成立しない……」
- 「妻からコミュニケーションを学んできてと言われた……」(熟年層に多い)
- 「分かり合えなくなった……、すれ違うようになった……」(40代、50代に目立つ)
- 「子育て、お金、仕事の考え方が違う……」(20代、30代に多い)
- 新婚さん。「一緒に住むようになって、驚くほどケンカが増えた……」
- 婚約中の方も参加される。「結婚が決まってから、価値観の違いに戸惑うようになった……」
『性格の不一致』って何よ

よくあるパターンの一つ。
たとえば、「感情的に話すパートナー vs 冷静に話すパートナー」の構図。
この性格の違いからくる夫婦喧嘩、すれ違いを結婚する前には気づけなかったのでしょうか?そして、予測できなかったのか。
そのテーマは別の機会にするとしましょう。
さて、「感情的に話すパートナー vs 冷静に話すパートナー」が喧嘩になる。
これって、それぞれの大人が「感情的に話す性格 vs 冷静に話す性格」ということでしょう。
そうすると、「感情的に話すパートナー 」を赤ちゃんだと仮定したら、「冷静に話すパートナー」は不快だとしても腹が立たないのではないでしょうか?
逆に、気持ちを素直に表す「感情的に話すパートナー 」にしてみたら、その問題に同調してくれない「冷静に話すパートナー」に冷たさのようなものを感じるかも知れません。
「冷静に話すパートナー」に対しては、感情をセルフコントロールし、まわりに気遣いながら、自分の気持ちを抑えて、正しい選択をする生き方を学んできたのかも。
このように考えると、「冷静に話すパートナー」を素直に気持ちを表現できない存在と理解できるかも知れません。
「性格の不一致」での離婚とは

- パートナーが感情的で困っている。
- パートナーがいつも冷静で、気持ちをわかってもらえない。
- 家事をするのが当たり前だと思われている
- お金、子育て、将来の考え方に違いがあり、日々ストレスを感じている。
- 小さなことでケンカが絶えない。
- 一緒にいるとイライラしてくるので、自分だけの時間が欲しい。
「性格の不一致」が原因のトラブルは無限にあり、不満を抱えている方も多いでしょう。
そして、逆をいえば、パートナーのことを『もっとわかろう!』とされていますか?
「性格の不一致」とは自分の問題。その点を自覚し離婚する?

考えてみよう。
「性格の不一致」とは、パートナーを受け入れない性格のことではないのか。
もちろん、パートナーの性格を、全て受け入れるべきという訳ではなく、パートナーをわかろうとする性格も必要なのではないのか。
一緒に生活する時間が長いほど、パートナーの知らなかった部分に触れる機会があり、これまでわからなかったことを、知ることになります。
結婚した夫婦だからこそ、新しい発見があるのではないでしょうか。
それに気づき、驚きを発見することで、その奥にパートナーが一所懸命に生きてきた足跡を感じることができるかもしれません。
感情的な人は、これまで素直に生きてきたのかもしれない。
もしくは、逆に感情を抑圧しないと生きられなかった人生だったかもしれない。
冷静沈着な人は、これまで感情を抑圧しないと生きられなかった人生だったかもしれない。
あるいは、逆に、素直に感情を出し過ぎてしまい、その失敗の繰り返しから学んだ性格なのかもしれない。
どちらにしても、パートナーとすれ違ったり、ぶつかったりすることは、自分の気づかない世界を垣間見るチャンスであり、見方を変えるとワクワクと感謝であふれている気がします。
人生で最も大切な要素である感謝に欠けるパートナーは、そういうことを学んでこれない環境で育ったのかも知れない。
もし、ご自身が相手に感謝が足りないと感じることがあれば、相手に感謝というものを育てる機会にしたらどうだろう。
厳しい表現かもしれませんが、「性格の不一致」での離婚とは、相手との違いをわかろうとしない自分の性格もあるということ。
もしくは、わかろうとすることを止めた結果だ。
愛が空っぽになったのです。
わかり合う努力を止めるのであれば、離婚は素晴らしい選択ではないでしょうか。
「性格の不一致」での離婚とは、パートナーをわかろうとする努力を止めることあり、共に暮らすほどにこれまで知らなかった新しいことを発見し、それに驚き、わかろうとする行為が『愛』というならば、そのわかろうとするのを止めることは、結婚の終焉のことではないでしょうか。
夫婦の「悩み」「苦悩」「苦痛」の原因

たとえば、パートナーの作ってくれた食事。
おいしい。
おいしくない。
快苦を感じるのは自分です。
また、約束を守ってもらえたら快、そうでなければ、不快じゃありませんか。
これが、「悩み」「苦悩」「苦痛」の一つの大きな原因です。
ものごとを「快苦」で判断してしまうことですが、生きているかぎり、「快苦」を避けられません。
だけれど、おいしくない食事の背景には、何かがあるはずです、守られなかった約束の背景にも、何かがあったことでしょう。
それに気づきましょう。
そして、それを「快苦」ではなく、「善悪」で考えましょう。
おいしくない食事の背景には、こんな事情があったんだな。
約束が守られなかった背景は、そういうことだったのか。
自己中心的な視点は避けられないけれど、私たち人間は、無私となり相手の事情をわかろうとする行為はできるはずです。
夫婦を続ける『愛』とは、無私となってパートナーをわかろうとすることです。
無私となってパートナーになり切れたら、夫婦というのは個と個ではなく、一緒ということになるじゃないですか。
それぞれが無私になる。
それが相思相愛であり、愛と呼べるものなのです。
すべては自分次第。

「人品骨柄(じんぴんこつがら)」は、主にその人の生まれつきの品格や人格、器量などを指す言葉で、二つの要素から成り立っています。
人品、その人の人柄、品性、人格といった内面的な質。
骨柄、本来は骨格や体つきといった外見を指します。
転じてその人の器量、才能、そしてそこから滲み出る風格や威厳といった本質的な要素を意味します。
人品骨柄とは、外見(振る舞い)と内面(人格)の両方の評価で、その人全体の根本的な品位や価値を表す重みのある言葉です。
骨柄は、骨格や体つきといった外見、生まれつきの要素なので、変えることはできません。
しかし、人品骨柄は、磨き上げることができます。
後天的な努力や経験によって「人格」「風格」「生きる姿」が形成できるからです。
夫婦をテーマに、それぞれの人生を開く

私たちは講座で、離婚を勧めることも、止めることもしません。
当たり前のことです。それは本人の決断です。
そして、人品骨柄を磨くとは、それを越えます。
生まれ持った資質(外見的な骨格など)そのものを変えることはできませんが、その人の価値の核心である「人格」「風格」「生きる姿」は、磨き続けることができるのです。
それは、夫婦関係という範囲を超えて、ご自身との関係、人生というものを深く幸福なものにするでしょう。
夫婦というのは、その意味で人品骨柄を磨く機会だと考えます。
誤解しないでください。
「性格の不一致」とは、分かり合うことをしない、もしくは、分かり合うことを止めた。
自分の性格、生き方の結果であり、それに良い悪いはありません。
それはご自身の選択だから。
大切なのは、その選択を自覚していることではないでしょうか。